レポート

顧問向け/提案

CONTRIBUTE:9つの疑問に答える

【埼玉県】埼玉県立大宮南高等学校 教諭 中島信幸

(顧問通信 VOL.34/2021.04掲載)

コロナ禍でのモチベーションの保ち方

私は蕨高校で3年間軽音楽部の顧問を務めたが、それ以前(三郷北高校)は野球部顧問であり、軽音楽部顧問を辞めた後はバドミントン部顧問、現在(大宮南高校)は女子バレー部顧問である。また、音楽の経験は人生で一度もなく、専門はアイスホッケーである。以下の文章は、それをふまえてお読みいただけると幸いである。

チベーションの保ち方としては、3年生と1、2年生で指導のやり方を変えた。まず3年生については「ほぼゼロに近い活動再開の可能性に賭けるか、早々に見切りをつけて次の進路に向けた準備をするか」葛藤しているだろうと考え、それに対する自己決定を支援することを第一とした。

その際まず必要なのは、顧問自らがどのようにして部活動を運営していくかを明確にすることである。「コロナ禍で多大な活動制限を強いられるが、少なくとも俺はこうやっていくつもりだ。それをふまえて考えてくれ」という具合である。しかし、コロナ禍でこの先何が起こるかわからず、圧倒的に将来の方向性についての判断材料が不足している中、どれほど運営ビジョンを明確に説明したとしても、その意味や意義を生徒が適切に評価・理解し、決定することは難しい。従って、顧問が繰り返し生徒の疑問に答え、理解を促進させると同時に、最後まで部活動を続けた場合と見切りをつけた場合とで、生徒の日常生活やその後の人生にどういう影響を与えうるかなど、それぞれの選択肢の評価について生徒と協議し、時間をかけて自己決定を支援する必要がある。医学の世界ではこれを「共同決定」というが、まさにこの共同決定が大事である。

生徒の人生の主人公は生徒本人なのだから、決定の主体はもちろん生徒である。しかし、その決定を顧問が一貫して支援し、協力する体制がないと、顧問は活動方針を一通り説明して責任を果たしたつもりになり、あとは生徒に決定を丸投げすることにもなりかねない。それでは生徒と顧問の協働体制は形骸化してしまう。生徒の自己決定権を尊重・保障し、一貫して支援するためにも、私はこの共同決定のプロセスを最も重んじた。

私の出した方針は「このまま練習も大会もできないまま終わる可能性は高い。しかし、一番大事なことは、これまでお世話になった部活動と確かな形でお別れをすることだ。俺たちはコロナによって終わらせられるのではない。自分の最後は自分で決める。それがアスリートとして残された数少ない誇りの1つだ。具体的には、自分の足でコートに入り、自分の足でコートから降りる。君たちはまだ若いから、人生の大半が出逢いと希望に満ちているが、やがて年を重ねれば別ればかりになっていく。ならば今、せめて正しい、悔いのないお別れの仕方を教え、その舞台を整えることが、顧問である私の役割だと思っている」である。その具体的な方法として「バドミントンはいつでもできるが、高校バドミントンは今しかできない。だから君たちの最後の花道は必ず俺が作ってやる。大会がなければ俺が作る。野球部で最後の大会メンバーに選ばれなかった部員たちのために行われる「引退試合」と同じ方式で、理念に共感してくれる他校の先生と1試合だけ行う。練習再開の許可が下りさえすれば、万全の感染防止対策を整えた上でやれる。高校バドミントンの灯を消さないためにも、どうか俺と覚悟を同じくしてくれないか」と、「中島カップ」の開催を3年生に示した。結局、何人かの生徒は見切りをつけることを選んだが、大半の生徒が最後までやる決断をしてくれた。さらに、中島カップ開催にあたり、理念に共感してくれる先生は多くいらっしゃったが、相手校管理職の決済(遠征許可)が下りず、1、2年生との紅白戦形式で行った。以上の文章について、バドミントンを軽音楽に、コートをステージに言い換えてもらえれば、軽音楽の世界にも当てはまることになると思う。

1、2年については、「戦わずして無念の引退を強いられた先輩の思いを受け継いで、今以上に素晴らしい部活動を作り上げよう」という指導が基本になる。ただ、コロナ禍にかこつけて「新しい生活様式」という言葉を曲解し、「趣味程度にたしなむのが本来の部活動の姿だ。プロを目指すわけではないのだから、『全国大会出場』などと身の丈に合わない目標を掲げたり、そのために誰よりも厳しい環境に身を置かせようとしたりするのはおかしい」という生徒・保護者は少なからず現れる。私は「今しかできないことに全力を尽くせない者が、これから先社会に出て何事にも努力できる人間にはなれない」という考えなので、先に挙げたような考え方を尊重したくはないのだが、私のような考えを持つ人間はもう絶滅危惧種になってしまったのではないかと思っている。教員の働き方改革が叫ばれ、部活動に関するガイドラインが整備されていく中、公立高校で部活動の指導に情熱的な先生は目に見えて少なくなっている。「何事も全力でやりたければ私立へ行くように。公立はそういうところではない」生徒の中にも教員の中にも、そんな雰囲気が出来上がりつつあるように感じる。高校野球の世界でも「5年後、公立が甲子園に出場することはできなくなるだろう。公立の野球部で活躍されていた指導者がことごとく定年を迎えるが、その後に続く者がいない」と言われているが、高校野球に限らず、教育現場全体がそうなってきているように思えてならない。

まして軽音楽部は、平時であっても「活動に真剣さが感じられない。このような活動でどのような教育的効果があるのか。機材費と称して多額の生徒会費を要求してくるが、そこまでして活動させる価値があるのか」「ただの放課後の娯楽。学校を無料スタジオとして使いたいだけ」と批判される上、後に続く者どころか、そもそも指導者すらほとんどいない。にもかかわらず、コロナ禍に乗じて先に挙げたような考え方に染まってしまえば、いよいよ存在の是非が問われるどころか、「教育としてやらせるにふさわしくない」との烙印を押される危険性は高くなる(仮に存続したとしても、ほとんど生徒任せにして顧問が積極的に関わる必要がないので、教員の負担が少なくて済み、楽だからという発想だろう。教員はそれで良いかもしれないが、生徒は不幸である)。それを未然に防ぐためにも、部活動単位で生徒たちに確かな目標設定をさせることはもちろん、目指す目標としての大会の在り方についても、例えば審査基準など、しっかりとしたものにしなければならないだろう。

部員同士のいさかいの収め方

部員間のトラブルは、大抵活動に対する温度差から起こる。基本的に部活動は全力でやろうとする者のためにあるので、個人的にはそこまでの覚悟がないのなら退部してもらって結構だ、と考えている。

しかし、前述の通り、コロナ禍に乗じた曲解によって「プロを目指すわけではないのだから、全力でやる環境など間違っている」という考え方が幅を利かせつつあるようにも感じる。場合によっては、保護者と一緒になって管理職や教育委員会にクレームを入れて、全力でやろうとする部員を辞めさせることで自分たちの居場所をつくろうとする者もいる。まかり間違えば顧問を辞めさせようという動きにまで発展してしまう。教員にも守らなければいけない家族がいるわけだから、そこまでのリスクを背負ってまで教育ビジョンを貫くかと言われたら、すぐには決断できないだろう。結局「ならば何もしない方がマシ」となってしまい、ますます部活動は縮小される。まして軽音楽部は部員の生徒指導案件が発生しやすく(夜遅い活動、高額な楽器代やスタジオ代を賄うための無断アルバイト、バンドマンの意味をはき違えた整容違反など)、放っておけば簡単に部員が100人を越えてしまうのだから、より顧問のなり手は減っていく。

私はバドミントン部で温度差を基準にした1軍・2軍制度を導入し、練習日すら別にして、完全にお互いを関わらせないようにした。基本的に温度差=実力差なので、どうしても1軍は実践練習中心、2軍は基礎練習中心となる。また体育館のスペースが限られており、1軍と2軍を同時に練習させることはできず、できたとしても中身のある練習をさせることは難しい。さらに、部活動ガイドラインの厳密適用を求められた時に「1軍の日は2軍が休み、2軍の日は1軍が休みと完全に分けていますので、ガイドラインを越えた活動はしていません」と答えることができる。

しかし、このやり方は所詮自分の保身であり、全力でやりたい生徒の情熱に応えられるものではない。これについては、逆に私が多くの先生方からご意見を賜りたい。

脱落しそうな部員の支え方

ここでは「脱落=退部」と解釈する。運動部の場合「練習が辛くて辞めそう」か「このままやっていてもレギュラーになれる見込みは低いので、向いていないことを自覚した上で次の進路に向けた準備をしたい」ケースが大半である。もし軽音楽部においてこの2つのケースが発生したなら、私はとても理想的だと思う。なぜなら、好きなことで全力を尽くしていること、好きなことで妥協していないことの裏返しだからである。むしろ生徒たちには、好きなことで悩み苦しんでいる自分自身に大いに誇りを持ってもらいたい。仮に自分に限界を感じつつあったとしても「バンドはいつでもできるが、高校バンドは今しかできない」わけで、どんなに実力の違いがあったとしても引退の時は平等にやってくるのだから、レギュラーになることだけでなく、高校バンドの世界から得られるものを存分に得て、社会に通用する大人として成長していってほしいと思う。

私が軽音楽部顧問をしていて直面したのは「楽しくやりたいだけなのに、中島先生の下ではそれができない」「学業と両立できない」「お金がかかりすぎて続けられない」の3つである。前の2つは私にとって論外である。ただ楽しくやるだけの趣味的活動や、高校生の本分を果たせないことを部活動のせいにするような人間性に付き合うつもりはないし、教育活動である以上、生徒を成長させる義務と使命を負っているのだから、それを願う保護者や県民の負託に応えられないことを行うつもりは一切ない。

問題は3つ目である。私が顧問をしていた時の蕨高校は、相次ぐ不祥事により校内での活動は一切禁止されていたため、生徒たちは頻繁にスタジオを借りて練習せざるを得なかった背景がある(現在は解消)。他にも、夏期・冬期・春期の校外合宿(校内での活動ができなかったこともあり、年に3回も行っていた)、合同ライブ(練習試合)の交通費(頻繁に埼玉から東京・神奈川に行っていたので、かなりの額になる)、レコーディング代(茨城のスタジオで行っていた。当然1日では終わらず、交通費・ミキシング・マスタリング代に加えて宿泊費もかかる)と、下手な運動部よりもお金はかかっていた。「やれる範囲で大丈夫」とは言っても、生徒は自分の経済事情が他のバンドメンバーに迷惑をかけることを負い目に感じてしまい、結局誰一人として最後まで続けた者はいなかった。

野球部の場合、ほぼ全員が経験者で、それまで多額の費用がかかり、これからもそうだということを生徒も保護者もわかっているので、経済的理由による退部はあまりない(が、ゼロではない)。バドミントン部では、シャトル代だけで野球部・軽音楽部とは比べ物にならないほどの費用が発生するため、経済的理由による退部は多く発生してしまった。したがって、安易なゲーム練習を減らす、外部体育館(他部との割り当ての都合上、校内体育館を毎日使用できるわけではない)を借りる機会を減らしてトレーニングメニューを充実させるなど、なるべく費用負担を少なくする活動を心掛けた。

創作活動の指導の仕方

私は創作活動の指導など必要ないと思っている。高校生の豊かな感性によって作られたオリジナル曲には、どんなにクオリティーが低そうに聴こえても、世の中に出回っているプロの曲にはない、高校生にしか出せない魅力がある。その豊かな感性を、我々大人の枯渇した感性によってダメにすることはないだろう。確かに指導はできるが、高校生は良くも悪くも素直なので、結局顧問の指導に染まってしまい、顧問のカラーに基づいた曲しか作れない、というのでは、本当の意味で「創作をさせた」ことにはならないと思う。

せいぜい私が行ったことは、循環コードに合うフレーズを考えさせてセッションさせることくらいである。例えばA⇒Bm⇒D⇒Aの循環コードをベースとして、それに合うフレーズを自分で考えさせて、全体で演奏させる、という具合である(参考材料として4 non blondesの代表曲の1つである「What’s up」を聴かせる。この曲はA⇒Bm⇒D⇒Aの循環コードだけで作られている)。最近は、特に初心者の生徒ほど楽譜ばかり見て原曲を聴かず、曲が身体に染みついていないので、結果楽譜通りに音を並べただけで自分なりの曲の解釈もない無個性なステージになってしまう。また経験者であっても、自分の好きなジャンルしか聴いておらず、結果何度作らせても似たようなフレーズしかできず、音楽性の偏った独りよがりなステージになってしまう。私の中学時代、ギター部の生徒たちは「テープが擦り切れるまで聴いてるのか」「レコードが割れるまで聴いてるのか」と毎日のように顧問に怒られていたが(私は中学時代野球部)、作曲の仕方以前の問題として、聴き込むことを当たり前にさせる必要があるのではないかと思う。

どこまで本当かはわからないが、上記のことはアメリカの高校の音楽の授業で普通に行われているそうである(つまり、どんなにバンドに興味のない人間でも、これができないと単位がもらえない)。もしこれが本当なら、日本のバンドが世界で通用しないのもむべなるかなと思う。日本なら軽音楽部に入らなければできないことが、向こうではどんなに音楽に興味がない人間でもできるわけなのだから。

顧問に楽器やバンドの経験は必要か?

私には楽器の経験も、音楽に関わった経験もない。楽器・バンドの経験はあるに越したことはないとは思うが、なければいけないものではない。アイスホッケーだろうが野球だろうがバドミントンだろうが軽音楽であろうが、100教えなければならないことがあったとして、技術的なことは10にも満たず、残りはすべて挨拶・礼儀といった、人間として成長するために必要なことだからである。

蕨高校軽音楽部顧問をしていた時、2年生部員が新入生に向かって「安易に先輩に教えを乞う前に教則本を読み尽くせ」と怒ったことがあったが、技術指導については正直それで良いと思う。外部指導者を呼ぶのも1つの手段ではあるが、謝礼がかさむ上に「いかにもバンドマン」な風貌でとてもじゃないが教育者として学校に呼べないような身なりの人間ばかりなので、生徒への悪い影響を考えると、あまり頼りたくない。批判を承知で言えば「やっぱり軽音楽をやってきた人間は、こういう奴しかいないんだな」と思わざるをえない人間ばかりである。また、プロとして活躍しているなら、自分の仕事で忙しすぎてわざわざ指導に来る余裕もないはずで、本業で稼げないから、高校生の指導「でも」して(あるいは、高校生の指導「しか」できない)食い扶持にしようという魂胆なのではないかとしか思えないような人間もおり、私は年1回程度しかお願いしなかった。また、OBにコーチをさせることにも私は消極的である。もう高校を卒業したのだから、いつまでも高校に縛り付けずに新たなフィールドで活躍させてあげたいと思う。

少なくとも私は、自分が責任を持って成長する義務を負った生徒を、安易に外部に委託したくない。教員免許も持たず、指導者としての訓練も受けていない人間に任せたところで、荒らされるだけである。どんな形であれ、生徒の指導に関わるということには重大な責任が生ずる。指導に携わる者は、教育心理学、発達心理学、リーダー学、ビジネス学を学ぶべきである。これがない人間は、指導が場当たり的で要領を得ず、指導の一貫性ではなくその時の感情に合うか合わないかで生徒をなじり、練習でやっていないことを本番で要求し、あげくの果てには手を上げる。これでは生徒が不幸である。そして、教員もそんな指導者を呼び、任せた責任を問われることになる。

野球の場合は、いわゆるプロアマ規定の関係で、外部が高校野球の指導に関わることは厳しく制限されている。バドミントンの場合は、日本バドミントン協会が認める指導者資格が存在するので、資格の有無でコーチを峻別できるし、有資格者の指導の質はとても高い。しかし、公認ライセンスを保持する指導者である以上、驚くほどの謝礼が必要となる上に、各方面から引く手あまたでスケジュールを確保してもらうどころか、連絡を取るだけでも困難を極める(直接の依頼ではまず無理で、関係のツテを頼って口を利いてもらったりする)ため、こちらも年1回程度しかお願いしなかった。

部活動の時短への取り組み

アイスホッケーは初心者だろうがプロであろうが、スケートリンクの貸切練習時間は平等に1時間半である。さらに、1時間半で5万円を越える利用料がかかる。従って、1時間半を存分に生かし、かつ高額な費用を無駄にしないためにも、練習内容は事前に存分に練り上げるし、休憩もほとんど取らずに次から次へと矢継ぎ早にドリルをこなしていく。

このような環境が当たり前だった私は「時短だから不自由を強いられる」という考え方にはならない。むしろ「今までの練習がどれだけ集中していなかったか、どれだけ時間の無駄があったか、改めてわかっただろう?」と、指導の材料としている。

練習の仕方の事例発表

軽音楽であっても、コロナ禍でも不自由を強いられることはほとんどないのではないか。相変わらず個人練習はできるし、「密を避けるために窓を開けると、近隣への騒音配慮が必要になってしまう」という懸念に対しては、セッションミキサーを使えばそれで済む。特に、私が顧問をしていた時の蕨高校は、相次ぐ不祥事により校内での活動は一切禁止、ようやく活動が許されてもアンプは使用禁止、アコースティックドラムも使用禁止だったため、教員としてあるまじき発言と承知で言うと「コロナ禍の方がまだマシ」程度にしか思っていなかった。

懸念があるとすればボーカル練習になるだろうが、ボーカル練習だけなら合唱部のように校舎外(例えば校庭・中庭)でもできるわけだから別段不自由ではないだろう。アンサンブル練習については、ボーカルを歌わせずあらかじめスマートフォンなどで録音しておき、セッションミキサーに流せばそれで済む(あるいはその逆もあり)。

あるいは、DTMを突き詰めようとする部員もいるだろう。つまり、ただ楽器の練習をするだけなら、大した工夫は必要ない。

しかし、それは果たして部活動と言えるものなのだろうか。上記のような内容だけで良ければ、別に部活動でなくとも、個人が趣味でやろうと思えばできることである。部活動である以上、練習する環境さえ整えられればそれでOKというわけにはいかない。目指す目標・生徒の成長ビジョンがなければ、ややもすれば「楽器さえ弾ければそれで良い」という雰囲気が蔓延してしまう。そうなってしまえば、従来から軽音楽部に寄せられる「単なるバンドの集合体であり、部活動とは言えない」「ただの放課後の娯楽であり、学校を無料スタジオとして使いたいだけ」といった批判を増幅させるだけであろう。前述の通り、「放課後の娯楽」に多額の生徒会費が使われることを面白く思わない教員から「軽音楽など教育に必要ない。潰してしまえ」と言われても、反論できる材料は何もない。

野球は外競技かつ身体的接触のほとんどないスポーツなので、コロナ禍においてもそこまでの制限は受けないだろう。バドミントンも体育館の窓を全開にして練習せざるをえないわけだが、意外にもそこまでシャトルが風に流されることはなかったので、そこまでの不自由は感じなかった。アイスホッケーは、興行場法に基づいて換気設備が作られているので、やはり不自由は感じなかった。

もし私が軽音楽部の顧問なら、セッションミキサーを用いたアンサンブル練習(もちろんボーカルは歌わせない)と作曲活動以外は一切校内でさせない。密を避けるということもあるが、それまで「当たり前」にあった環境への感謝を学ばせるためでもある。その上で「このような逆境だからこそ、練習環境を整えろと文句を並べるのではなく、今まで以上に挨拶・礼儀を尽くし、軽音楽部の味方を増やせ。不自由を強いられても決して腐らず、人間として成長しようとする姿を見せろ」と指導する。

振り返れば、コロナ禍の2020年2月29日にライブを強行したプロのバンドがあったが、あれは個人的に高校軽音楽にとって最悪の行動だったと思っている。「軽音楽の人間は、コロナ禍でも自分の利益しか考えない。だから教育活動に軽音楽は不要だ」というイメージを蔓延させ、不必要な活動制限を強いられる結果になりかねなかったからである。あの件で、私は生徒たちにまず社会性を教えなければと改めて思った。自分の正当性ばかり主張するのではなく、周囲との妥協点をしっかりと探りながら、ベストな選択肢を模索するということである。

あの件以降、もし私が軽音楽の顧問だったら、教員の誰もが上記のようなネガティブ・イメージを持っているという前提で指導計画を立てる。その上で、ネガティブ・イメージを跳ね返し、軽音楽を通して社会に通用する人間を育成するための具体的指導として、前述のようなことが考えられると思う。

大会で予選落ちしてしまった後の取り組み

剣道の世界には「勝って反省、負けて感謝」という言葉があるが、軽音楽に最も足りないのはこの姿勢であると思う。勝てばつけあがるし、負ければ平気で審査員に文句を言ったり、他のバンドの演奏を蔑んだりする。まず「結果を素直に受け止め、反省・感謝ができる」人間になれるよう指導し、その上で、今までの自分たちに何が足りなかったのかを考えさせる必要があるだろう。

大人数校、少人数校の部活動

部員が100人を越える野球部は珍しくないが、試合に出られるのは9人だけ、大会メンバーに選ばれるのも20人だけである。大半の人間は公式試合に出られず、場合によっては3年間一度も練習試合に出場させてもらえないどころか、まともに練習にも参加させてもらえず、球拾いとグランド整備だけで終わってしまう部員もいる。そうなると、自分の可能性の限界を早々に悟った部員が、後輩のレギュラー部員をいじめたり、レギュラーメンバーの練習の邪魔をしたりするなど、悪い方向に自分の存在意義を求めてしまうようになったりする。

野球部に限らず、部員の不満はほぼ確実に「試合に出られない」ことから発生する。とはいえ、レギュラーになる実力のない者を温情で試合に出すわけにもいかないので(日頃の練習態度が模範的であるなど、部員全員を納得させる理由がある場合を除く)、トップチーム以外にBチーム、Cチームと分けて、カテゴリーごとに育成目的で試合を組むことで(いわゆるBチーム戦)、試合勘を鈍らせないと同時に「いつかはAに上がるんだ」というモチベーションを保たせることができる。それ以外にも、ボール係、バット係、ネット係、マシン係など、チーム全体が機能するための様々な役割を与え、そこに責任を持たせることで、「たとえ試合に出られなくても、別の形でチームに貢献できる」という意識を持たせることができる。私が驚いたのは「1ミリ班」という役割を設けていた野球部があったことである。これは、試合会場などで部員達のカバンを1ミリたりともずらさず綺麗に並べる役割のことであり、「カバンの並べ方1つ見れば、そのチームの実力はわかると言われますから」と、一見地味に見える役割に誇りを持つ部員に大いに驚かされた記憶がある。

少人数の部活動は、練習に参加できない部員が出ることもなく、たくさんプレイすることができるので、成長スピードは速い。顧問も少ない人数に時間をかけて指導できるので、生徒指導などの問題も発生しにくい。しかし、終わったと思ったらすぐに自分の出番が回ってきてしまい、じっくりと自分のプレイを振り返る余裕のないままフィーリングだけで練習を行ってしまったり、少人数なので準備・片付けに多大な時間を要して効率的な練習ができないなど、少人数ならではの問題も発生する。また、前述の通り部員を休ませる機会を確保しづらくなるので、ケガ人も発生しやすくなる。

軽音楽についても、同じように考えることができるのではないか。

 

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