私立中高の軽音楽部顧問を10年やって見つかったこと

自校の取り組みや活動理念、事例発表などを軽音楽部の顧問の先生からの投稿やインタビューにて紹介します。(2020/5/顧問通信 VOL.29掲載)

私立中高の軽音楽部顧問を10年やって見つかったこと

【高知県】土佐中学高等学校 軽音楽部 外部指導員 矢野淳彦

はじめに

DiGiRECO.JRの三谷編集長から定年退職にあたり、「顧問通信」に原稿を書いて欲しいというお話をいただきました。定年退職で軽音楽部の顧問を降りた人は毎年、何人もいらっしゃるはずなのに…と思いましたが、私の場合は創部から関わり、言わばスタートからフィニッシュ(=退職で次にバトンタッチをする)まで軽音楽部と共に歩んできました。また、軽音楽部の顧問を目いっぱい楽しんで、部員たちの演奏からたくさんの元気をもらった点では誰にも負けない自信があります。

新型コロナウイルスの影響で、2月後半からライブやイベントがすべて中止になり、しばらく無力感から抜け出せませんでしたが、いつまでも沈んでいても仕方がないし、おかげで時間はあり余るほどあるので、私なりに感じている軽音楽部の面白さや軽音楽部の顧問を通じて、わかったことや気づいたことを「一読者の投稿」という形で書いてみようと思った次第です。

部の歩みと高知県の歩みと全国の歩みがリンクする面白さ

2009年の9月だったと思います。当時、高1の男子生徒から「軽音楽部を作りたいのですが、顧問になっていただけませんか?」という要請を受けました。当時、私は自転車競技部を担当していたのですが、音楽が好きだったこともあり、その話に乗りました。今、思い返すと、かすかではありますが、「来た!」という感覚があったように思います。これまでにないものを新しく作り出す取り組みにワクワクしながら、生徒たちと何度も話し合い、既に軽音楽部のある学校を訪問したりして、ゼロからの計画をスタートさせました。

そんな中、他校を訪問しているうちに同じような志を持っている顧問が何人もいることがわかりました。そんな顧問たちが意気投合し、2011年に高知県高等学校軽音楽連盟を立ち上げ、2年後に正式に高知県高等学校文化連盟の軽音楽専門部となりました。組織作りと運営には高体連の自転車競技専門部や自転車競技連盟での経験が大いに役立ちました。

そして、高知県での動きと同じような動きが、実は全国各地で起きていることも次第にわかってきました。先行していたのは、やはり学校数や音楽人口の多い首都圏や関西圏だったでしょう。しかし、北海道や宮城、長野、広島など、全国の北でも南でも、同時進行で高校軽音楽部の組織化が進んでいたように思います。高知県もその動きの1つだったのです。

そんな風に各地方、それぞれが独自の歩みをしてきた結果として、高校の軽音楽界にはかなり色濃いローカル・カラーが感じられます。例えば、首都圏と関西圏の軽音楽部の出す音やステージングはかなり傾向が違います。そして、高知県にはそのどちらでもない、高知県ならではの高校軽音楽の風土が育ってきていると思います。これは軽音楽部の活動が上部からの指導や押し付けではなく、それぞれの現場から育ってきたことの証しであり、面白いことです。

ロックやポップスは雑種音楽だから面白い

本校には音楽系の部活動が5つあります。吹奏楽部、オーケストラ部、合唱部、ギター部、そして、一番新しい軽音楽部です。その中で、軽音楽部の面白さとは何でしょう。…自由だから? その通りだと思います。では、その自由さはどこから来るのでしょう。私は、やっている音楽(ロックやポップス)が雑種音楽、混血音楽であるからだと思います。現代風に言うと、「ハイブリッド」です。

ロックは1950年代にアメリカで生まれましたが、それは白人のフォークやカントリーがジャズやブルースなどの黒人音楽と結びついて、出来上がったものです。そして、1960〜70年代に世界中に広がり、それぞれの国に既に存在していた大衆音楽(日本では歌謡曲や演歌など)とミックスされ、その国に根付いていきます。私が中高生の頃には「日本語でロックができるのか?」という、今の若い人には信じられないような議論が大真面目に戦わされていました。一方で、ビートルズやストーンズに代表される当時の最先端のミュージシャンたちはインドやアフリカなどの民俗音楽を、あるいはクラシック音楽の形式美を貪欲に取り込んでいきました。

だから、今の日本のロックやポップスには日本はもちろん、世界中の音楽の要素が混じり合っています。そして、今も混血を続け、進化し続けているのです。日本国内でも各地方の気質や文化、風土によって出てくる音に違いがあり、先述のように「高知のサウンド」というのも確かにあると思います。だから、面白いのです。

顧問は部のバンドのマネージャー兼ファンクラブ会長

私の場合、軽音楽部の顧問の役割は「全所属バンドのマネージャー兼ファンクラブ会長」だと思い、やってきました。プロ顔負けの曲を作り、演奏するバンドがあれば、仲良しグループが集まって、バンドごっこをやっているようなバンドもあります。私にとっては、どのバンドも同じように大切なバンドだし、その演奏から日々の元気をもらっています。教育現場の働き過ぎが問題になり、部活動が一番のリストラ対象にされているようですが、私にとっては、とんでもない話です。部活動を取り上げられ、授業や学級経営だけになったらストレスが溜まるだけで、とてもやっていられません。

普段は目立たない、ごく普通の中高生がギターを抱えて、ステージで歌い出すと俄然、輝き始めるのです。私自身、学生時代にバンド経験があり、40年近いブランクを経て、数年前にバンド活動を再開しましたが、担当楽器はずっとハーモニカなので、ギターもベースもキーボードも弾けず、ドラムも叩けません。ですので、技術的な指導はできないのです。だからこそ、マネージャーとして練習や発表会の環境作りをすると共に「音楽を一生の友達にする」ということの楽しさや素晴らしさを自分の体験を踏まえて伝えたいと思い、やってきました。

中高一貫制は軽音楽部にとって理想的?

私立の中高一貫校である本校の軽音楽部の顧問を続けていて、気づいたことの1つは中1の入部から高2の3月末の「引退ライブ(※1)」までの5年間という年数は長すぎも短すぎもせず、軽音楽部の活動に極めて相応しい年数であるということです。

中1で入部して、わくわくドキドキしながらギターを肩にかけ、ドラムセットの前に座る。6月の最初の定期試験が終わる頃にはバンドを組み、夏休みのライブ・イベントや合宿で初めて人前で演奏し、バンドとして自立し始める。段々とレパートリーが増え、ステージ経験を積んで演奏技術も上がり、中3にもなると、高校生バンドも顔負けの演奏力を持つようになる。しかし、何かが足りない…。そんな自分たちの存在感を確かめるために、オリジナル曲に挑戦するようになる。有名曲をコピーするのと自分たちで作曲、作詞、編曲をするのとは、求められるエネルギー量が格段に違う。オリジナル曲が生まれると、CDを残したくなる。レコーディング作業はクリック音を聴きながら、ドラムから順に1つ1つのパートを積み重ねていく地道な作業であり、自分の出している音や声と直に向き合う、ある意味、辛い作業と言える。そこでは、ライブとはまた違ったエネルギーと集中力が必要とされるが、何よりも音楽を「形」として残せる充実感がある。

こうした道のりを高校の3年間で駆け抜けるのは正直、大変だと思います。しかし、5年もあれば、どうでしょう。じっくりと音楽に取り組み、回り道もしながら自分たちの音楽を熟成させるには、やはり5年間という時間が望ましいと思います。

高知では中学の軽音楽部がある3つの私立校が集まって、2017年から「高知県中学校軽音楽発表会」を始めて、3年になります。「DiGiRECO.JR」の4月号に神奈川県で開催された私立中学校の合同ライブの記事が載っており、ここでも軽音楽部の全国同時進行現象を確認でき、嬉しかったです。

※1 高3で受験対策に専念できるよう、本校の軽音楽部では3月末に大きなライブハウスを貸し切り、全員参加の「引退ライブ」を行っている。

新顧問にバトンタッチ。そして、外部指導者へ

昨年の今頃は次年度からの顧問のことで、かなり悩んでいました。副顧問はいるのですが、英語科の仕事が忙しく、平常はほぼ私1人が顧問の仕事をしていました。そもそも部活動の顧問という仕事が教員にとって大きな負担になっている昨今の事情があり、まして軽音楽部はまだまだ歴史が浅く、多くの教員にとっては「得体のしれない部活動」です。さらに致命的なのは、本校の軽音楽部は日常の練習場所が学校の外にあり、校内での仕事をこなしながら部活指導をすることができないというデメリットを背負っています(※2)。

「次の顧問をどうしよう…」という悩みの突破口を開いてくれたのは、文化祭での教員バンドです。本校では隔年の2月に全校を挙げての文化祭である「向陽祭」があり、その裏年には文化部の発表会である「芸術祭」があります。それらのステージには臨時編成の教員バンドが立つのが、いつの間にか恒例になっていました。この取り組みは副顧問が仕切ってくれており、彼の親しみやすい人柄のおかげもあって、毎年10人近い教員が参加し、生徒たちにも大ウケでした。新顧問は、そこに参加している教員の先生にお願いしました。

引き継ぎの話し合いの中で、私が外部指導員の立場で、校外での練習を手伝うことになりました。本校の場合、軽音楽部の顧問にとって最も高いハードルは、前に述べた「練習場が外にある」ということです。そのハードルを多少なりとも低くしようというわけです。幸い、学校から「外部指導者」(まさに、その名称通りです)として認めていただき、私は4月からも軽音楽部に関わり、練習をサポートできることになりました。

今は教職に就く若い人の中で、大学のサークルなどで軽音楽に関わった経験のある人が確実にいます。そんな人たちを、音楽を通じて仲間にすること。そして、部活指導の何が大変なのかを明確にし、それを少しでも解消すること。私の場合は、この2つがポイントだったと思います。

教員だけでなく、部員たちの保護者にもバンドをやっていた人や現役でやっている人が増えてきています。昨年は保護者による「エフェクター講習」や「アンプの音作り講習」などが実現しました。私は保護者に対して「子どもたちのバンドのファンになってください。そして、ライブに足を運んでください」と、いつもお願いしています。ライブ会場に保護者の姿があり、部員の弟や妹たちも一緒に手を叩き、体を揺らす…。素晴らしいことだと思いませんか。

昔は「バンドは不良」という固定観念が自他双方にあり、後ろめたさと反抗心を心に宿しながらやっていました。「それはそれで良かった。おかげで強くなれた」とは思いますが、それは今だから言えることです。それに比べれば、今の生徒たちは恵まれています。そんな生徒たちにはバンドのメンバー全員の個性が調和的に発揮される時、そのバンドにしか出せないグルーヴが生まれ、自分たちの音楽が最大限に輝き始めることを実感として学び、一生音楽と友達であって欲しいと願っています。

※2 「校内で音を出す練習をしない」という条件で、職員会で軽音楽同好会を承認してもらったという経緯があり、以来ずっと、学校から徒歩15分ほどのところにある公営施設の音楽室で練習している。

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