ギターは弾かなきゃ音が出ない!エレキの神様 寺内タケシ氏に聞いてきた

昨年、結成50周年を迎えた、寺内タケシとブルージーンズ。全国の高等学校を巡る芸術鑑賞会「ハイスクールコンサート」はスタートから35年以上の歴史を誇り、公演を行った高校は1,500校以上。その移動距離は地球20周にも及ぶそうです。そんな寺内タケシ氏は現在74歳。ベートーベンの「運命(交響曲第5番)」に代表されるクラシック音楽をエレキ・ギターでカバーするなど、その功績から世界中で「エレキの神様」と呼ばれており、「ギターは弾かなきゃ音が出ない」と訴えて、「一生懸命やればどんなことでも必ず達成できる」と語ります。

(取材:本誌編集長 三谷佳之・2013/12/DiGiRECO.JR VOL.1 掲載)

ー 現在、どういった音楽活動をされているんですか

寺内:ホールでのコンサートがメインで、割合で言うと7割〜8割くらいでしょうか。ちょうど今日(取材当日)も、めぐろパーシモンホールで18時からコンサートなんです。残りの2割〜3割で「ハイスクールコンサート」という高校生に向けた芸術鑑賞会を行っています。

ー 高校にはどういうペースで行っているんですか

寺内:公立校も私立校も関係なく、芸術鑑賞会の要請があったところに赴く…という感じで続けています。年間で30回〜40回くらいですね。うちのバンドの専用車に機材や楽器一式を積み込んで、全国各地へ向かうんです。これまでに訪れた高校は昨年の12月末で1,567校を数えています。距離にすると、地球20周以上にもなります。芸術鑑賞会は35年以上の実績があるので、ホールでも体育館でも広さや構造に合わせて、どこでも同じ「寺内サウンド」をお届けしますよ。

ー ハイスクールコンサートを始めるキッカケは何だったんですか

寺内:これは随分と昔の話になるんですが、栃木県の足利市教育委員会から端を発した、「エレキ・ギター禁止令」に関する問題から始まっているんです。1960年代というのは若者を中心にエレキ・ギターに注目が集まり始めていた時代で、それは次第に「エレキ・ブーム」へと発展していきました。その流れは中学生や高校生の間にもあっと言う間に広がり、エレキ・ギターばかり弾いていて勉強をしないし、「エレキは不良がするもの」とか「不良少年の温床だ!」みたいなレッテルを貼られてしまったんです。そんな中、足利市の教育委員会がエレキの追放運動を発表して、エレキ・ギターを購入することやバンドを組むこと、エレキ・ギターのコンサートや大会に行くことなどを禁止したんですよ。「エレキ・ギターが使用されているコンサートに行ったら停学」「バンド活動をしたら退学」のようなルールがあって…。それが徐々に他の県にも浸透していき、全国規模の社会問題へと発展していったんです。ハイスクールコンサートは、その時代からずっとやってきています。まさに「抵抗の記録」ですね。始めることにしたキッカケは、エレキ・ギターが禁止になっているので、若い人たちの感情の「はけ口」がなくて、僕のところに手紙が来るようになったんです。最初は何通かだったものが、次第に増えていって、しまいには1日2,000通も届くようになってしまって…。北海道から九州まで、いろいろなところからメッセージが寄せられていました。それを読んでいるうちに「何かやんなきゃいけないのかな…」ということで、まずは3年間、各地の高校を回ってコンサートの開催を打診してみたんです。

ー エレキ・ギターが全面禁止になっている中、高校側はすんなりと受け入れてくれたんですか

寺内:いいえ、そんなことはまったくありません。3年かけて100校くらいを回り、許可が出たのは3校いくか、いかないかだったと思います。全然相手にされなくて、ほとんどが門前払い…。ちなみに、最初にハイスクールコンサートを開催したのは僕の母校である、茨城県立土浦第三高等学校でした。

この禁止令では、エレキ・ギターを広く知らしめた「寺内タケシが悪い」と非難しているわけではありません。でも、やっぱりエレキ・ギターを日本で広めた1人ですし、世間的にもエレキ・ギターへの「反発感情」のようなものが浸透していたので、それを払拭するような活動をしなくてはいけないと感じていたんです。それが今はどうでしょう。エレキ・ギターやバンドに対するマイナス・イメージはないですし、「結局、エレキ・ギターのどこが悪かったの?」と思わずにいられません。当時は自分の家の土蔵なんかで隠れてギターの練習したりするなど、若者を中心にみんな暗い青春時代を送っていたと思います。

ー そんな時代があったんですね

寺内:エレキ・ギターの禁止に関して、とても印象に残っているエピソードがあります。昨年の暮れあたりに行った、宮崎県の市民会館でのことなんですが、コンサート終了時に、可愛いお孫さんを引き連れて年配の女性がトントントントン…とステージに上がってきたんです。それで、僕に花束を手渡してくれました。その時に「私はエレキ・ギターの音が大好きで、今でもそういう音楽を好んで聴いています。うちの孫も大好きです。実は『エレキ・ギターが禁止なった』というのは宮崎県も同じなんです。エレキ・ギターのコンサートを楽しんでいたら一斉に捕まってしまい、停学や退学になって…。でも、今、こうやって『エレキの神様』と言われている寺内さんに花束を渡せることにとても喜びを感じています」と言ってくれて…。それは本当に感動しましたし、嬉しかったですね。後日談なんですが、その時に話しかけてくださった女性というのはとても有名な絵本作家さんだったんですよ。

ー ハイスクールコンサートでは、同じ高校に行くことはあるんですか

寺内:複数回、コンサートを開催している高校もあります。例えば、高校サッカーで有名な長崎県の国見高校ですね。実は、そこで初めて演奏した際に「寺内さん、何か一言お願いします」と先生に言われたんです。僕は「みんな、志しているものは何なの?」と聞いたところ、誰も何も志していなかったんですよね。もうそれにビックリしてしまって、「お前ら、大丈夫か?」と。「どんなに小さくても良いから志を持てよ。持てないんだったらサッカー部なんか辞めてしまえ。いいか、試合の時には必ずこの言葉を思い出して臨めよ!」という話をしたら、次の年に大会で優勝してしまったんです(笑)。優勝祝いに清涼飲料水を5箱くらい差し入れで送ったところ、「またハイスクールコンサート、お願いします!」という要望をいただいたので、コンサートをやりました。そしたら、またサッカー大会で優勝することができたんです(笑)。当時、サッカー部の監督をやっていた先生が校長になった時に、「3年に1回は寺内さんを学校にお呼びしたいんです!」と言っていました。

ー ハイスクールコンサートで他に印象に残っていることはありますか

寺内:北海道の余市にある高校へ行った時のことですね。その高校は専門学校ではないんですが、4年制のところだったんです。4年間ということで、中には不良っぽい生徒やふてくされたような感じの生徒がいたりして…。その高校に行ったのはちょうど雪が解けた春くらいだったんですが、機材車が校庭のぬかるみにはまってしまったんです。機材を運ばなきゃコンサートが始められないのに、トラックはうんともすんとも動かないんですよ。もう夕方だし、どうしようもなくて困り果てていたところ、その高校の番長みたいな偉そうにしている感じの生徒が、「俺がやります」と綱引きの縄を持って来て、全校生徒でトラックを引っ張りあげたんです。あの時の出来事は本当に感激しました。今でも忘れられません。  また、盛岡市の女子高でコンサートをやったことがあるんですが、その会場にはエレベーターがなくて、階段を使って機材を搬入出したんです。5階ですよ?(笑)。あれには参りました…。そこの生徒も「お手伝いさせてください」と言ってくれたんですが、「いやいや、あんたたちが怪我をするとお嫁にいけないから、僕らでやるよ」と断ったんです。それでも、「いえ、やらせてください!」と手伝ってくれました。すると、僕たちよりも力があったんですよ(笑)。そんな頼もしい彼女たちも別れ際には泣いてしまうなど、ハイスクールコンサートで訪問する高校それぞれに特色があって、1つ1つ思い出があると言えます。

ー 最後に、本誌の読者である高校生にメッセージをお願いします

寺内:何はともあれ、寺内タケシのコンサートを観に来てください。そこで必ず得られるものがあると思います。ここに書いてあることだけでわかるはずがありません。よく「ギターがうまくなりたいんですが、どうしたら良いでしょうか?」と質問されるんですが、答えは簡単。うまくなれば良いんですよ。つまり、一生懸命、物事に取り組んで、人よりも努力をすれば何事も必ず達成できるんです。


寺内タケシ プロフィール

関東学院大学在学中にプロ活動を開始。昭和37年に寺内タケシとブルージーンズを結成し、エレキ・ブームの仕掛人となる。加山雄三主演の東宝映画「エレキの若大将」などにも出演した、エレキ・ギターの草分け的存在。ヒット曲に「運命」「津軽じょんがら節」など多数あり、世界中のエレキ・ファンから「エレキの神様」として敬愛されている。

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