東京都立立川高等学校 ミュージッククリエイトクラブ 尾澤 聡先生

大規模な部活動を取り上げるなら、小規模も取り上げるのが筋。一般教職と顧問の両方を受け持つ先生に求められる熱意は部員の過小とはほぼ無関係。大規模には大規模の、小規模には小規模なりの苦労や悩み、喜びと楽しみがあるはず。部活を維持する上で、これ以下の人数はあり得ない…というほどに小規模ながら合同ライブの主催や大会にも名を連ねる東京都立立川高等学校の顧問、尾澤聡先生に伺いました。

(2014/3/DiGiRECO.JR VOL.2 掲載)

山椒は小粒でピリリと辛い。全国最少級、部員5名の反骨

ー 尾澤先生の音楽的な背景を教えてください

尾澤:私が「教員になろう」と思ったのは高校時代です。歴史の授業が面白くて、「その先生と同じような生き方をしたいな…」と思ったのがキッカケです。小学校の頃から自宅にギターがあり、アリスや当時のフォークソングを弾いていました。その後、小学6年生になった頃に兄からビートルズを教わり、そこで「良いな…」と思い、親にエレキ・ギターを買ってもらったんです。そして、中学3年生でバンドを始めて、地元の県立高校に入ってからもバンドをやるわけですが、今のような部活はなかったので、リハーサル・スタジオで練習して、文化祭で演奏していました。

将来は教員になって、歴史と音楽を掛け持ちしたかったので、大学では歴史学科に進みました。当たり前のように軽音楽サークルに入ったのですが、なかなか馴染めなくて、新しいサークルを作ったんです。今、考えてみると、そこから私の反骨人生が始まったのかもしれません(笑)。教員になってからも、軽音楽部がない学校では最初から立ち上げていく…ということをしてきました。常に新しいものを作っていくのが運命なのでしょうか(笑)。

ー 大学卒業後はどうされたのですか

尾澤:1年間だけですが、民間企業に勤めていました。良い経験になりましたが、「やっぱり教員になりたい!」と思い、試験を受けて合格し、東京都立久留米高校に赴任したんです。そこで早速、軽音楽部の顧問になったのですが、いわゆる「いるのかいないのかわからない幽霊部員」が多くて、何をしてあげれば良いのかわからず、「一緒に演奏して欲しい」と言われれば演奏する…というような感じでした。

次に着任した町田工業高校では「ギター部」という部活で顧問をしました。活動停止状態の部活だったのですが、新入部員が「バンドをやりたい」というので一緒にやったり、演奏する機会を作ってあげたり…と、そこには8年間おりました。その卒業生らは既に30歳になっているのですが、今でも交流が続いていて、同好会ライブなどもやっています。

その次に赴任したのが、町田市にある小川高校です。そこには軽音楽部がありませんでした。いきなり担任をやらせてもらったので、学年集会で「軽音楽部を作りたいんだけど、入りたい人は誰かいる?」と聞いてみたところ、15人がくらい集まったんです。周囲からは「軽音を始めるのか?」と白い目で見られました(笑)。2007年ぐらいでしたが、軽音楽連盟の動きが本格化し始めており、きっちりと活動されている他校の先生方と交流ができ始め、礼儀作法やオリジナル曲づくりなどのノウハウを積んでいきました。小川高校には4年間おりましたが、その時期が「顧問としても、プレイヤーとしても全盛期だったかな…」と思います(笑)。2010年にはPTAの全国大会があり、今、立川高校でコーチをしている山田がボーカルを務めるバンドが優勝し、「日本武道館でアトラクション演奏をする」という快挙を遂げたんです。「教え子が大会で優勝して、あの武道館で演奏する」という経験は良い思い出になりました。そのあたりから、テレビやマスコミとの関わりが始まったんです。

ー 新設の軽音部の顧問として偉業を成されましたね

尾澤:それはそうなのですが、武道館ライブが終わった後に、バンドの集団と顧問という「部員との関係」に素っ気なさを感じ始めました。「もっと1人1人、じっくりと手厚く面倒を見てやりたいな…」と思い始めたんです。「バンドとして演奏するだけではなく、個々のメンバーの能力を上げないとダメだ!」と感じました。ただドラムを叩くだけ、ギターをかき鳴らすだけの単なるプレイヤーではなく、「1人1人が歌心を持って、曲作りもできて、いろいろな楽器を演奏できるミュージシャンになってもらいたいな…」と。小川高校でも入部試験として弾き語りをさせていたのですが、「それをもっと強化した部活を作りたい」という想いを持って、立川高校に移ってきました。

ー 立川高校に赴任してからはどうされたのですか

尾澤:立川高校にはバンドの部活もあったのですが、活動や音楽に対する考え方が少し違いました。そんな中、「違ったことをしたいな!」と思っていた時に近づいてきた生徒がミュージック・クリエイト・クラブの1期生なんです。その子とは最初の文化祭で2人で弾き語りをしました。これは先生たちからは大不評でした…(笑)。「教員がそんなことをしちゃいかん!」と。私としては、ただオリジナル曲や弾き語りの良いところ、面白さを生徒に伝えたかったのですが…。そうしたら、生徒が1人、2人と集まってきたことで土台ができて、同窓会となりました。1年目から私の主旨を理解して、彼らは自分で曲を作ったり、いろいろな楽器で演奏してくれたんです。この時に「やればできるんだな…」という風に思いました。

今は自信を持って、1人1人を手厚く指導して、音楽の能力を伸ばしています。「このジャンルは嫌い」とか「誰々ちゃんがいないからやらない」というのではなく、バンドメンバーがいなくなっても「音楽が好きだから続ける」「自分で形を作る」という能力につながってくれると自負しています。バンドだけではなくて、個人の能力伸長を目指す部活なのです。

ー ハードルが高いと部員が集まらないのでは

尾澤:そうなんです。「あの部活は弾き語りができなきゃダメらしいよ」とか「顧問の先生がうるさそうだよ」という噂が流れてしまうので、多くの生徒が来ないんです。「本当に音楽をやりたい!」という私の主旨を理解してくれる、やる気のある生徒しか来てくれません。今年も、私のところに来てくれた1年生は5人なんです。今、留学生が1人いるので6人なんですが…。ちょうど部活ができて、4期生となります。

ー 量よりも質を重視することになったわけですね

尾澤:転機としては、やはり軽音楽連盟の存在が大きいですね。初めて顧問の先生の集まりに参加した際、「すごい先生がわんさかいるわ!」と思いました。きっちりとやっている先生、音にうるさい先生、決まりごとに厳しい先生など、とても刺激を受けました。そこで、自分のスタンスを見直したんです。やはり自分の学校の中だけで活動をしていると、顧問も生徒も「井の中の蛙」状態になってしまいます。そういう意味で、「合同練習」というのはとても良い機会です。今では気の合う学校に声をかけて、こちらにお呼びして主催できるまでになりました。他流試合は大事だと思います。顧問は普段から見ているので、「親」のようになってしまうことがあると言えます。しかし、客観的に見てみたら、「その演奏ではダメだよ…」と思うことが多々あるんです。

ー ミュージック・クリエイト・クラブのスタッフ

尾澤:2012年に、日本武道館に出た山田をコーチに迎えました。やはり「武道館に出た」という人がいるだけで、空気が違うんですよね。「目指している目標が違ってくる」と言いますか…。生徒に「俺はこのレベルでやるから、こういう目標を持っていないとイヤだよ」と言えるんです。ライブは「その時だけ盛り上がれば良い」ということではありません。「日々の練習の積み重ねの上にライブがあるんだ!」ということを実践してくれたのが、山田の「褒め殺し。」というバンドでした。彼女たちも最初は初心者ばかりで、「この子らにできるかな…」と思っていたのですが、ゼロから始めて最後は日本武道館で幅広い世代を感動させるくらいになったので、そういうコーチが経験を語ったり、アドバイスをくれるだけで全然違います。

ー 部員は5人とのことですが、バンドは組めるんですか

尾澤:組めるのは1つですが、その1バンドがいろいろな形になるんです。例えば、ある生徒がボーカルの時はこういう編成、ドラムの生徒がボーカルになる時は誰かがドラムを担当する…というように、編成を組み替えて、バンド名も変えながら、持っている楽器や楽曲も変えているんです。基本は個人のオリジナル曲を演奏しています。今、個人としては2人、2人、1人の編成でも演奏しており、学年バンドになる場合は1つになります。大会の時期にはそれに向けてのバンドを組みますが、元々バンドや部活は「賞を獲得する」ということだけが目標ではないので、企画バンドで良いのです。私は彼らに、1人のミュージシャンになって欲しいと考えています。

ー 前から、そういう手法でやってこられたのですか

尾澤:小川高校では、最初に2ヶ月間は弾き語りをやらせていました。「弾き語りができない人は部活に入れないよ」と言っていたんです。30人くらいの入部希望者がいても、弾き語りができなくて半分の生徒が去ってしまったので、残った部員でバンドを組ませていました。ただ、核になるバンドのメンバーは私が選んでいましたね。

ー 1年生でバンドを組んだら、2年間はメンバーを変えないという高校もありますが…

尾澤:いろいろな形があって良いと思います。プレイヤーとしてドラムを極めるのも良いことです。速弾きを徹底的に極めるというのも…。しかし、私たちの基本は曲作りなので、弾き語りから始めています。弾き語りを基本にして、その延長線上にバンドがあり、音楽制作がある…と考えているんです。そのプロセスで私自身もっと1人1人の生徒に目を向けていきたいんです。

ー その考えは「部員が少ない」ということが前提になっているんですか

尾澤:最初の出会いや初代の生徒との弾き語りがキッカケになったと思います。「弾き語りで、個人でやりたい」という気持ちと「いろいろな曲を研究したり、作曲を勉強するような部活を作りたい」という私の考えが合致したのが始まりではないでしょうか。

ー 今後、部員が20人、30人と増えたらどうしますか

尾澤:さー、どうしましょうかね(笑)。「ピアノやギターなどの楽器を演奏しながら、自分で歌いなさい」ということは変わらないと思います。もちろん100人を超えるような、大きな軽音楽部がある学校に異動した場合は無理だと思いますけどね…(笑)。

ー 部員から不満はありませんでしたか

尾澤:もうみんなわかっているので、大丈夫でしょう(笑)。今では「ミュージック・クリエイト・クラブに入って、いろいろな楽器を演奏してみたい!」という生徒がいるくらいです。私は部活として、しっかりと音楽を学んでもらいたいと考えています。スタンスは吹奏楽部や野球部となんら変わりはありません。ついでや掛け持ちでやる程度なら有志バンドでやれば良いのです。それは部活動とは違うものですから。

ー インタビューのキッカケは「少人数の部活で、どう頑張っておられるのだろう?」ということだったのですが、部員が集まらなくて困ってらっしゃる気配はまったくありませんね(笑)。部員が足りないからみんなで楽器を持ち替えて、バンドをみかけ上、複数作ろうという考えとは違いますね

尾澤:はい、そういう考えではありません。逆に、少人数をウリにしていますから(笑)。本気で音楽をやる生徒しか来ないんです。それで良いと考えています。実際のところ、普段から音を出せない環境なんです。音が出せないので、当然ながら演奏力は上がりません。そういう状況の中で、「部活は何をメインにしていくか?」というと、音楽制作能力やいろいろな楽器を良い意味で「つまみ食い」していき、「2年間でミュージシャンとしてのベースを作っていく」ということなんです。この環境では、演奏力を高めることに注力しても限界があります。シャッフル・バンドにして、いろいろな楽器を演奏することで様々な角度から自分の楽器を見つめることができるようになる利点もあります。また、当校は土日には大きな音を出しても大丈夫なんです。そんな感じで演奏会の前は集中して練習するので、数少ない機会を最大限に使う「集中力」を養うこともできます(笑)。引退して、3年次の受験勉強にも役立ちますよ(笑)。

ー だから、プレイヤーではなく、作曲家やミュージシャンとしての能力を育成し、「良い曲を作れ」とおっしゃっているわけですね。作曲家(コンポーザー)としての能力があれば、演奏はもっとうまいプレイヤーに任せても、「この曲はボクの曲だ」と胸を張れますからね

尾澤:そうなんです。演奏力の問題ではなく、「表現力」であり、「想い(ハート)をどう伝えるか」というところが大事だと考えています。「歌詞や楽曲で人を感動させる」ということを教えたいんですよね。ただ友達を呼んで、「ライブで盛り上がるから楽しい」というのではなく、座っていても自然に体が揺れていくというか、バンドの世界にのめり込んでもらえるような曲を書いて欲しいんです。それがアマチュアだと思います。パフォーマンス磨きは次の段階でやるべきです。

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